道真の若いころは唐の文化が最も進んだものとして受け入れられており、憧れの的でした。唐へ行きたくて仕方のなかった道真は、唐の文物をこよなく愛していました。高子姫に唐墨(とうぼく)を御礼にと、モノで釣られてしまうのもそのせい。硯盗人の嫌疑がかけられたり、何かとモノに縁があります。
唐墨(とうぼく)
中国における墨の歴史は日本よりはるかに長く、紀元前1500年頃以前の中国殷の時代から墨は始まったとされています。日本へは文字の伝来とともに渡って来たともいわれる墨。唐墨(とうぼく)は、和墨に比べて白色がかった柔らかい墨色で、品位と深みを備えた墨色が特徴です。
平安時代、墨は既に和墨が生産されていました。松煙墨の生産が盛んになり、紀伊国産の「藤代墨」や近江国産の「武佐墨」が知られていたようです。しかし、道真も高子姫から貰った「唐墨(とうぼく)」の匂いを嗅いでうっとりしてましたが、製造方法の違いによって、色も香りも違っていたようです。

日本は唐の文化の影響が大きかったので、唐墨が珍重されていたようです。墨は、煤と膠を混ぜて固めたものですが、和墨と唐墨はこの配合が違っているので、色合いや粘りに違いが出ます。
唐墨は膠の量は多いのですが粘り気が少なく、和墨は粘り気の強い膠を使っているそうです。また風土の違いが影響して、唐墨は日本では割れやすく、日本の軟水で磨ると色合いが柔らかな墨色、硬水で磨ると濃い墨色に深みが増すそう。また、日本と中国では紙質も違うため、書を嗜まれる方の好みで分かれるそうです。
道真がこよなく愛した唐墨ですが、彼の提言で遣唐使が廃止となり、日本は国風文化へと向かって変化を遂げていきます。漢文文化から、日本独自の仮名書き文化へと移ろっていく中で、より繊細な表現が求められ、それに沿った和墨に変化していったということなのでしょうね。
道真がうっとりしていた唐墨って、どんな香りがしたんでしょうね。松煙墨のようですし、ちょっと嗅いでみたい。興味ある方はぜひどうぞ!
唐墨のブランド「曹素功」
曹素功とは、中国の明から清の時代に活躍した製墨家の中でも有名な人物。
「鉄斎翁書畫寶墨」日本画家の富岡鉄斎の要請を受けて、1912年頃中国に特注された墨。現在も同じ製法で作られているそうです。
端渓硯
硯には陶器製と石製があり、陶器製の硯専用のものには円形の円面硯、動物などを象った形象硯、部首の几部(かぜかんむり)の形をした風字硯、長方形の長方硯、宝珠形の宝珠硯などがあるそうですが、これはあまり実用向きではなく、形や色彩が美しいので、現在では観賞用として扱われるようです。
唐の時代に石製の硯がブームになったらしく、石の産地で特徴も様々。もっとも有名なのは、中国の端渓硯。彫刻が施してある工芸品としても見ごたえのあるものも多く、強い人気を誇っています。
道真の時代、珍しい丸い硯もあって、これを盗んだ嫌疑がかけられた道真が自ら犯人探しをする話がありましたね。



しかし、硯って本当にお値段すごくて! でもこれ、道真にちなんだ珍しい「梅花硯」というんだそう。吉祥の梅の花が彫刻されています。眼福で見てみてください(笑)
他にも梅にちなんだもの、紹介しています!






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