【応天門の変】とは? 漫画「応天の門」は平安歴史ミステリー

応天の門

【応天門の変】とは何か?漫画「応天の門」では平安時代に起きた【応天門の変】を背景に、貴族社会の権力抗争の中で生きた菅原道真を主人公として描いています。この【応天門の変】により伴家失脚と藤原北家の権力完全掌握、つまり反藤原勢力の一掃が行われました。

応天門の変 犯人は左大臣・源信?

866年4月28日、応天門が放火され炎上する事件が起き、天皇の大内裏に近い火事だったため、朝廷は大騒ぎとなりました。ほどなく、伴善男は右大臣・藤原良相に対して左大臣・源信が犯人であると告発します。応天門は大伴氏(伴氏)が造営したもので、源信が伴氏を呪って火をつけたのだと讒言したのです。

伴大納言絵詞

右大臣・藤原良相は源信の捕縛を命じて兵を出し邸を包囲しますが、参議・藤原基経がこれを父の太政大臣・藤原良房に告げると、驚いた良房は清和天皇に奏上して源信を弁護しました。源信と、良房の正妻・源潔姫は異母兄弟なんですね。源信は無実とされ、邸を包囲していた兵は引き上げました。

犯人は伴善男と伴中庸親子?

8月3日に備中権史生・大宅鷹取が、応天門放火の犯人は伴善男・伴中庸親子であると訴え出たことで、事件は急展開します。伴善男は無罪を主張しますが、応天門の加持とは別に操作されていた鷹取の娘の殺害事件で、善男の従僕・生江恒山と伴清縄が調査され、その過程で鷹取の件のみならず応天門の放火についても彼らが自供を始めました。

そのため、一度は誣告と判断されかけた伴善男父子に対する放火容疑が再び浮上し、否定を続ける善男に対し「伴中庸が自白した」と偽りを言って自白を迫ったところ、善男は観念して自白したということです。首謀者として、伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国へと流罪されました。

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藤原良房 摂政となる

この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために、藤原良房が摂政となり朝廷の全権を把握する事になりました。伴氏・紀氏の有力官人が排斥され、藤原氏の勢力を拡大することに成功したわけです。左大臣・源信、そして藤原氏の勢力削減を図った伴善男でしたが、結果としては自らが伴氏失脚へと導くこととなったのです。

このため、藤原氏による伴氏追い落としのための陰謀とする見方が一般的ですが、実は伴中庸の独断による犯行であり、父である善男は無関係であったが、清和天皇によって善男も同罪とされたのではないか、という説もあるそうです。

「応天門の変」以降

「応天門の変」の起きた866年、良房が摂政となると、いよいよ高子姫が清和天皇に入内します。清和天皇は17歳、藤原高子は25歳でした。そして、3年後の869年、高子は貞明親王(後の陽成天皇)を出産します。

藤原北家が権力を完全に掌握し、良房は外戚として摂政に、そして陽成天皇の代になると基経が関白の地位にまで上り詰めます。「望月の世」は道長を待たずして、既に藤原の手中にあったのでした。

「応天の門」がこのあたりをどう描いていくのか、楽しみです!

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