平安時代、闇が闇として存在する妖しの異界があった時代、目に見えぬものを視る力を持った陰陽師と呼ばれる者たちが活躍していました。「応天の門」の道真は、物事は全て説明ができるという「理」の世界で行き、妖しを否定していますが、そういう妖しの力を信じることでしか、人の心にうまく収まらない何かあったのではないでしょうか。
陰陽師・安倍晴明に魅せられて、小説、映画、ドラマ、コミックへと、妖しの世界が展開しています。小説では、先駆的な荒俣宏の「帝都物語」から始まり、そして何よりも夢枕獏の「陰陽師」が、現代に安倍晴明を甦らしたと言っても良いでしょう。
陰陽師・安倍晴明の持つ妖しい魅力、これも平安ワールド!
平安時代とは?
安倍晴明が生きた平安時代中期は、貴族文化が最も花開いた時代です。894年に菅原道真の提言によって遣唐使が廃止され、日本は独自の文化を花開かせていきます。それまでは漢文だけであったのが、日本独自の仮名が生まれ、「竹取物語」や「伊勢物語」、さまざまな「日記文学」が生まれ、やがては「枕草子」「源氏物語」へと繋がっていきます。
平安時代とは、未だに人は異界の存在を信じ、闇におののいていた時代でもあったのです。天変地異が起こるたび、それは目に視えぬ怨霊のなす技と考え、それを退けてくれる力を持つ陰陽師に頼っていました。
陰陽師とは?
では安倍晴明が生業とした陰陽師とは、どんな職業だったのでしょう? 物語の世界では超能力を持つかのように描かれていますが、実際の陰陽師の仕事は陰陽道に基づき、呪術や占術を行っていました。
・相談者の悩みを聞き、現状や将来を鑑定する
・移転や移動の吉方や、物事を行うべき吉日を判断する
・家相・地相を読み吉凶を判断する
・相談者の気の流れを読み、心身の状態を判断する
・結界、式神、除霊などの術を用いて災いを退ける
飛鳥時代には中国から伝来した「陰陽五行思想」が、国の進むべき道を占う風水として政治的役割を持つようになりました。朝廷内に「陰陽寮」設置されたのがこの頃です。「応天の門」でも出てきましたね、天文を読み解き暦を作る重要な職種です。
平安時代中期になると陰陽道に、目に視えぬものの力が何かしら関与しているという、精霊信仰が加わり、陰陽師は悪霊祓いの役割を強めるようになりました。安倍晴明が活躍したのがこの時代です。
主な登場人物たち
陰陽師・安倍晴明ワールドは、各作者によって登場人物はさまざまに展開している部分があります。ですが夢枕獏の「陰陽師シリーズ」を土台にしている作品が多いようです。

まずは夢枕獏「陰陽師シリーズ」の、主な登場人物をご紹介しましょう。
安倍晴明 あべのせいめい
三十代半ばか後半らしくも描かれているが、作中では生没年不詳とされている。母親が狐で「化生ノ者」という風聞もある。賀茂忠行のもとで修業をつみ、陰陽師として天才的な才を発揮し、当代一の陰陽師と言われている。長身で色白、眼元涼しい秀麗な美男子で、口元にはいつも「あるかないかの微笑」をたたえている。漢籍や和歌にくわしい教養人であり、下々の事情にも通じている。官位は従四位下。陰陽寮に属し、天文博士の職に就いている。

源博雅 みなもとのひろまさ
醍醐天皇の血をひく由緒正しき生まれながら、臣籍に降下し源の姓を賜り武士となる。官位は三位三十代後半と思われる。人を恨んだり悪意を持ったりすることと無縁の人物であり、それゆえ晴明に全幅の信頼を寄せられている。管弦の道に優れ、笛の名手である。その笛には鬼や精霊、神仏をも感応させる力があるが、博雅にはこの世のものならぬものを感知する力はない。だが、自然の中にある見えぬ力に思いを寄せている。
蘆屋道満 あしやどうまん
播磨国の陰陽師で、帝の御前で晴明と方術比べをするほどの力を持っている。別名・道摩法師。年齢は五十代の半ばくらい。白髪蓬髪にし、顔中に不精髭が生えている。炯炯と黄色く光る眼、獅子鼻、赤黒く無数の皺が刻まれた顔。銭をもらって魘魅(えんみ)や蠱毒(こどく)の術を使い呪詛をするが、人の心をからめとり、操ることに面白みを感じている。不思議に人を惹きつける磁力のようなものがある。安倍晴明のライバルとして描かれることが多いが、清明に対しては心に期するものがあるようだ。
蝉丸 せみまる
盲目の琵琶の名手。逢坂の関に庵を結んでいる蝉丸のもとに、蝉丸の琵琶の音をどうしても聞きたいと願った源博雅が、三年間通い続けた。そしてついに琵琶の秘曲「流泉」と「啄木」を伝授された。それ以降、交流のできた清明のもとにしばしば訪れるようになった。盲目の身ゆえの、目に視えぬものを感知する力を持つ。
このほかにも多くの魅力ある人物が登場してきます。それは生きた人間であったり、死霊であったり、式神であったりとさまざまです。また、この「陰陽師シリーズ」を土台とした、コミックには独自のキャラクターも登場しています。妖しの世界は楽しいですね!


陰陽師の「呪」とは
ゆくか
ゆこう
ゆこう
清明と博雅の二人が呼応しあう、この呼びかけの声、これがさまざまな怪事件への扉を開く掛け合いとなっています。多くの場合それらの怪異は、貴族たちに仲介を頼まれた博雅が、清明へ話を持ち込む形で話が展開していきます。
博雅によって持ち込まれた怪異話に耳を傾け、解決のために出かけていく清明。不思議な物語が繰り広げられていくのですが、ここで忘れてならないキーワードが「呪」です。
「呪」は「しゅ」と読みます。安倍晴明によると、この世のありとあらゆるものはこの「呪」によって成り立っているのです。それは自然(じねん)であり、ものの成り立ちの根源を意味するものなのですが、博雅には理解しようとすればするほど霞がかってしまう、そんな言葉。この二人の存在そのものが、陰陽の対になっているともいえるでしょう。
陰陽師・安倍晴明は、この「呪」を遣って人の心の中にある深い哀しみや愛憎、それらを浄化しようと試みます。人の心の中には「鬼」がおり、この「鬼」がおるからの人間ぞ、と博雅に語る清明の言葉には、人というものへの深い慈しみが込められています。
妖しの世界への扉
いかがですか? 陰陽師・安倍晴明の妖しの世界に、興味を持たれましたか? 現代のように真の闇というものが感じられなくなってきた分、人の心の中にある闇の深さは深まっていくのかも知れません。闇を闇として畏れなくなった我々は、いまだに闇に棲む物の怪たちに、実はこっそりと様子見されているのかも? そしてその物の怪たちは、時に人の形をして現れるのかも…
人が人であることの哀しみを識る清明・博雅の物語へ、ようこそ! 扉はあなたの目の前にあります。
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