【応天の門】に登場する女性の中で、ひときわ強烈な個性を放つ藤原高子は悪女?左大臣・藤原良房の姪として権勢拡大の駒として、年若い帝に入内することになっています。11歳での業平との駆落ち騒動、清和天皇の后として宮廷サロン主宰、55歳の時には僧侶との密通の嫌疑により皇太后を剥奪(死後回復)という、兄・基経との確執により、生涯を通じて政に翻弄されたスキャンダラスな女性?
842年生まれですが、物語の中では21歳となっていますね。
業平との駆け落ち
「いいの、連れて行って 業平」「どこへでも 連れて行って」(第2巻)

このシーン、好きですね~。11歳の高子姫と29歳の業平。『今昔物語』や『伊勢物語』などに高貴な女性との密通事件として残されています。その思い出を業平は「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」(古今集巻十五)と詠んでいます。
藤原北家の藤原長良の娘として生まれた高子姫は、11歳の時に29歳の業平と駆け落ちを決行、結局は兄たちの手によって連れ戻されてしまい、以後軟禁状態となってしまいます。『伊勢物語』六段の「芥川」の鬼に喰われた姫、は彼女がモデルと言われています。
物語の中では、今でも業平と想いを寄せあい、時折文を送り合っている間柄として描かれています。大胆な行動を躊躇いもなく起こすことがあり、そこに業平との駆け落ちを決行した芯の強さと、権力抗争の道具として生きねばならない哀しさが垣間見え、切ないシーンも…。
宮中での祭の際に起きた騒動で、一瞬ながらも御簾越しに業平と邂逅するシーン、恐らく駆け落ちの時以来なのでは?と思うと、胸に迫ります。
五節舞姫=后妃候補
藤原北家の藤原長良の娘として生まれた高子姫は、清和天皇が9歳で即位したときに、大嘗祭で五節舞姫を務めました。五節舞姫というのは雅楽の中で、唯一女性が演じる舞。公卿の娘で五節舞姫を務めるということは、将来の后妃として入内することを意味していました。
この時、高子姫は17歳。すでに父・長良は亡くなっており、強力な後見がおらず、しかも天皇が幼少であったこと、業平との一件があったことなどで、入内は7年もの後、清和天皇が元服して2年後の25歳になってからでした。
叔父・藤原良房との確執
父・藤原長良は出世でも弟の藤原良房に後れを取り、55歳で亡くなってしまいました。高子姫は強力な貢献がなく、兄の基経と共に、叔父である良房を後見として頼むことになります。良房は唯一の娘・明子を文徳天皇に入内させ、生まれた皇子が清和天皇、外戚として権力を一手に掌握しつつありました。
しかし他に子がなかったため、基経を養子として迎え、高子姫の後見役として、自分の孫である清和天皇に入内させ、その次の皇子の外戚となろうとしていたわけです。叔父・良房にとって、高子は重要な持ち駒。なんとしても入内をさせ、男皇子を産ませたい、そのためには多美子姫を呪詛してでも…、という人物。当然ながら、高子姫としては良房を嫌っていましたが、当時の彼女には抗う術はありませんでした。
兄・藤原基経との確執
兄の基経もまた強烈な個性の持ち主。後見である父を亡くしており、本来ならば出世の道からは外れてしまうところ、その才を見込まれ叔父の良房に英才教育をされた人物。妹である高子姫は、彼にとっても重要な持ち駒です。
高子姫の皇子が次の天皇となれば、叔父として権力を握ることが出来ます。そんな重要な持ち駒である高子姫と関係を持った業平は、基経にとっては憎い相手。高子の入内が遅れているのも、気に喰わない。
多美子姫が先に入内した時には、高子姫がお役御免になる期待を抱いたのではないかと、「わずかでも期待したか? その希望がそなたを苦しめるぞ」と言い放つのでした。高子にとっては叔父・良房よりも恐ろしい存在。7巻ネタバレ・深読み
やがて高子が皇子を産み、その皇子が陽成天皇となった後も、この兄・基経との折り合いは悪く、やがては外戚関係を壊してでも高子・陽成天皇母子を排除していくわけです。
史実における高子
25歳で入内、その3年後に貞明親王(後の陽成天皇)を産みました。この皇子はわずか生後3か月で立太子、9歳で陽成天皇となり、高子は皇太后となります。別称は「二条后」。910年崩御、68歳でした。
清和上皇が息子の陽成天皇に譲位し院政を行っていた時、高子は和歌のサロンを開き、そこに業平などを招いています。その時、業平が詠んだのが小倉百人一首で有名な「ちはやぶる神代もきかず龍田川 から紅に水くくるとは」です。業平とはずっと密かな恋が続いていたのでしょうか…。
高子は皇太后となりましたが、896年、高子建立の東光寺僧善祐とのスキャンダルにより廃后されました。死後33年後の943年に本位に復しましたが、恋多きひとだったのかも。
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